2015/06/26

キャリアとライフ

結婚パーティーまであと2週間と迫ってきました。
パーティーは、結婚記念日当日。
早いもので、入籍して1年が経とうとしています。
ほんとにあっという間でした。


先週は弟の結婚式があったり、
秋までに引っ越しをしようといくつか内見にまわったりしているのですが、
自分たち以外の家族や夫婦に触れる機会が多くなったり、
引っ越し時期や新しい住まいの条件に、エレベーター付き必須だとか、
畳の部屋があると遊ばせやすいとか、必然的に子供の要素が入ってきたりで、
最近よく夫婦で、未来の子供のことを強く意識しています。
先走りすぎだけど、一緒に名前考えたりして。

…ウィメンズパークにも登録、 笑


そして、今朝の報道番組で職場でのマタハラのニュースを見て。
私は運良く、雇用形態に恵まれた会社とご縁ができたおかげで、
時短正社員で働かせてもらっているし、
月に一度は家庭に費やす時間を作るために公休を頂けています。
リモート斡旋しているので、ママ従業員は子供が風邪を引けば
自宅で働くことが許されて、
保育園行事があれば、遅刻早退するママもいらっしゃり、
私自身も昨日主人が体調不良で早退することになったので、
合わせて午後からリモートをしていました。


世の中のまだまだ古臭い妊婦やママへの冷たい風当たりに巻き込まれず良かったし、
被害を受けている女性を気の毒と感じる中、
でも、恵まれた環境の中で無事に産休・育休が取れても、
1年後2年後の社会復帰の辛さは、
どこまで仕方のないものなんだろうと思います。

私の仕事は、常日頃のメディアコミュニケーションであって、
「忘れられる広報」であることが、一番の恐怖です。
だから、結婚後も旧姓で仕事をしているし、facebookも苗字を変えていない。
(仕事上のお付き合いのある方で私の本名を知ってる方ってほとんどいないと思う…)
1年も経てば移動が盛んな報道業界…わー怖すぎる。

番組でも社会復帰に関して、女医さんが苦言していたけど、
そう思うと、まだ転職して間もないし、
中途半端なタイミングで子作りを進めてもいいものなのかとも。
主人とも、もう少しゆっくりふたりの生活を送りたい気持ちもある。
反面、三十路を過ぎた初産でリスクも年々高くなる中、あまりゆっくりもしてられず、
大切な人との間に出来る宝物には、いちにちでも早く会いたい。


こんなもやりとした気持ちに、小さな仕事のストレスが溜まる日々で、
主人にも上手に甘えることができない。

構えすぎると、子宮はビビってしまうとも聞く。
できる時こそが、命のご縁であるからこんなこと考えてる間は
まだ舞い降りてきてはくれないのかしら笑


いまはただ、無意識に引き寄せている無駄なストレスを削ぎ落とすことを考えますまず。

2015/02/09

wedding reseption party 2014.11.22


昨年の出来事ですが、11月22日。
実家の静岡で結婚式を挙げました。

親族たちだけで食事会をこじんまりとする予定でしたが、
気づけば60 名近くの方々をお呼びする、披露宴にまで発展。
主人は関東の生まれなので、本来は主人の地元で挙げるべきなのですが、
祖父にどうしても晴れ姿を見せてあげたいというわがままから、
わたしが生まれ育った伊豆の、海の見えるレストランで。
でも、偶然なことに、主人のおばあちゃんも静岡の生まれで、
主人や義母も伊豆の土地にゆかりがあったので、快く静岡での式に賛成してくださいました。


4年前から、相次いで祖父母3人が神様になりました。
おじいちゃんおばあちゃんに自分のウエディングドレス姿を見せることが夢で、
それを彼らの生きる希望となれば…と思っていましたが、
わたしがゆっくりし過ぎてしまったようです。
祖父ひとりだけになってしまい、おじいちゃんだけには一目見て欲しかった。
ただ、式が近づくにつれて祖父の体調も悪くなり、結果、
式に出られる体調ではなくなってしまい、祖父の居ない結婚式になってしまった。
そして、もうひとり。
小さい頃からお世話になっていた大好きな母の親友のおばさんも式の1週間前に旅立ち、
直前まで、式を中止したくなるくらいの悲しい出来事が続きました。



ありきたりですが、アットホームな式にいちばんこだわりました。
自分たちが主役のお披露目会…というよりも、食事、景色、空間を
ゲストに楽しんでもらうこと。
ひとでも多くの方に、式に参加してもらうこと。
30過ぎて結婚式であれこれやりたい歳でもないし笑

なので、伊豆観光がてら東京に住む親友や、お世話になった方々にも参列してもらうことに。
服飾の学校に通っていたころの親友・恩師と一緒にウエディングドレスも制作。
シンプルなオフホワイトのIラインのドレスを。
ふたりとも靴を取り扱う同じ会社に勤めていたので、靴も会社の商品で揃えました。


自分自身がひどい雨女で天気は本当に心配していましたが、当日は雲ひとつない快晴。

人前式ではあまりにも天気が良すぎて、参列者のみなさんは目を細めて列席することに。笑


恩師手作りのリングピロー。
ドレスと共布で、サプライズで作ってくださいました。

全員参加のリングリレー。
ひとり1本座席に置いて、みんなで1本の長いリボンに。
”みんなに結ばれ、つないでもらう”意味合いを込めて。

結婚指輪も、友人のジュエリー職人の手作りです。

式の準備で初めてその存在を知った、Someting Four
サムシング・フォー (Something Four) は、結婚式における欧米の慣習。結婚式で花嫁が以下の4つのものを身につけると幸せになれるというもの。
 Something Blue[なにかひとつ青いもの]      ふたりが出会った職場の取扱う青いパンプス
 Something Old[なにかひとつ古いもの]         義母から譲り受けた、義父からの婚約指輪
 Something New[なにかひとつ新しいもの]     親友同士で作ったウエディングドレス
 Something Borrowed[なにかひとつ借りたもの]   親友から薬指にゴールドのネイル 


披露宴は、日没のタイミングに合わせて夕方からスタートしました。
見事なサンセット。


過去に全国大会優勝の成績も持つ、静岡の友人の所属する太鼓チームにもお祝いの演奏を。




お付き合いをはじめて、ちょうど1年後に入籍。
きっと、生涯を過ごす相手になるんだろうなって思っていましたが、
一緒に住むタイミングでプロポーズ。
(プロポーズの日は偶然にも義母の誕生日でした)
だらだらと同棲を続けていたくないという、彼の男らしい決断にも心が熱くなりました。

同じ会社で、同級生で、偶然共通の友人がいて、そこからのお付き合い。
当時は、社内でもいちばん信頼する頼もしい仲間でしたが、
気づけば彼に向けた気持ちはだんだんと変わっていって、
まさか結婚するなんて、本当に考えもしていなかった。
ご縁やタイミングって本当にあるんだなって。

火傷してしまいそうなほど熱くて、芯が強くて、責任感も強いから頼もしくて、
曲がった事が嫌いで、生きることに一生懸命。
顔をしわくちゃにして笑うから、わたしもそれだけで楽しくなってしまいます。
わたしの大切な家族や親友を、わたしと同じくらい大切に想ってくれます。
ただ、本当は少し不器用で繊細でガラスの心を持つ、人一倍もろい部分もあります。
何よりも、不要な気遣いをせずに向き合えると、
わたしの人柄をとても愛してくれていました。

悲しい言い方かもしれませんが、きっとやがて愛情は今よりも
薄くなってしまうと思います。
守るものや環境が変われば、それは仕方のないこと。
ただ、そうであっても彼とは死ぬまで笑って過ごしていけるんだろうと、
彼と一緒になりたいと思いました。
家族としての愛情は変わらず持ち続けられると確信しました。


そんな大切な人とご縁ができて、わたしと彼に関わる方々に
感謝の気持ちを込めた結婚式でした。
忙しい合間を縫って、来てくださった方。
一緒に準備を手伝ってくれた方、入場から涙を流して祝福してくれた方。
生涯のパートナーと、そしてわたしたちを囲むたくさんの方々に、
心からの感謝と、31年間、みんなに愛されて生きてきたことを実感しました。
たくさんの大切な人に囲まれて、人生でいちばん幸せな1日を過ごすことができました。
そして、天国にいる大切な人も、この日を見守ってくれていたと思います。


love for all forver

2015/02/05

転職やら いろんな準備やら で引越し


おひさしぶりです。

fc2さんからお引越ししてきました。
なんだか、改めて自分のブログ生活を見直してみてしみじみしてみたり。

初めてブログを書き始めたのは10年以上前です。
たぶん、上京して学生そろそろ卒業するくらいのタイミングだったような気がします。

そこで出会った方もたくさんいて、西の遠いところに住んでいますが、
ふらっと連絡取ったり旅行行く仲になったり、旦那さんが同じ名前になったり笑

そこからも引っ越して、また引っ越して。

気づいたら今年で32歳 わーー


去年の夏に結婚しました。
35歳くらいまではバリバリ働いて、しばらくひとりでいるんだろうなって思ってたんだけど…
周りからも「早かったね」って言われてすこし複雑な気持ち。
こんなわたしを貰ってくれる懐の広い男性がこの世にいたんですねー
そしてタイミングって本当にあるんですね。
毎日朝から寝る直前まで、大口開けて大笑いして。
幸せで仕方ないです。

とはいえ、いつまでも若くいられないので子供のことを考えるようになって、
悩みに悩んで、お仕事ペースを削って、家庭への時間を多く費やす生活をしたいと決めました。
4年勤めた会社も退職。(優雅な有給生活中です笑)
職種は、おそらく我が天職である広報の道から外れないように、
いいご縁のある会社にも恵まれて、新しい生活が動き出そうとしています。

転職、婦人科通い、禁煙(努力中)、保険の見直し…
ひとりのでは賄いきれないような大きな責任。
いままでは、じぶんごとだったことが、今度は、「ふたりごと」「家族ごと」になってくる。

主人とも、いっぱい喧嘩するんだと思います。
いっぱい悩んで、迷って失敗して、そうゆっくり焦らないで楽しもうと思います。

妻って肩書きにも少しづつ慣れてきました。